生々流転

「バカじゃないの。冗談は顔だけにしてくれる?」

きっちりと非の打ち所のない笑顔を作ってからそんな言葉を叩きつけたら、目の前のそいつはなぜか嬉しそうに笑っていた。


最初に遭遇したときから、Nと名乗ったそいつは変なヤツだった。笑顔のくせに、目が笑っていない。
物腰は柔らかいのに、人に対して少しも気を許していない。そもそも、人に理解されようとして言葉を喋っているとは少しも思えなかった。どう考えても、早口すぎる。
初対面の時に僕が彼に対して下した評価は、「つまりこいつは電波か」だ。挙動からしてうさんくさいことこの上なかったNは、なぜか僕にポケモン勝負を挑んできて、そして負けて去って行った。
その時はもうこんな変なヤツとは二度と会うこともないだろうと思ったものだけど、それは早計だったかもしれない。そう遠くないうちにもう一度鉢合わせをするハメになって、そしてその時もポケモン勝負を挑まれた。その時はよくわからなかったけど、当時のNにとって僕はどうやら理解しがたい存在だったらしい。ポケモンの言葉がわかるというNはいつのまにか勝手に僕のツタージャとなにやら話していたようで、とにかくツタージャが僕に向けてくれていた感情が信じられなかったんだそうだ。
僕にとってもNは理解しがたい存在だから、そのへんはおあいこだ。特に文句を言う気もない。
でも、僕にとってはポケモントレーナーとポケモンが信頼関係で結ばれていて、ついでにお互いが大切で大好きであるのは当然のことだったから、それを信じられないと言われたところで受け入れることなんてできるはずもなかった。

しょうがない。僕はその時、まだポケモントレーナーとして旅を始めたばかりで、今以上に子どもだった。
心を通わせることができる人とポケモン、そんな存在に恵まれていた僕には、わからないことがたくさんあった。

だけど、旅を続けるうちに少しずついろいろなことの側面が見えてくるようになる。世の中、きれいで優しいことばかりじゃない。
そんなの、少し考えればわかる。自分の心の中をのぞき込んでみれば、あきらかだ。僕の中にだって、きれいなものもあれば汚いものもある。光でも、闇でもない。清濁併せ持つ、それこそが人であって、どちらかだけでは人として成立しない。

そういう意味では、Nは人になりきれていなかった。
僕よりも年上のはずなのに、僕よりもよほど子どもだった。
見かけどおりの、大人になりかけた人なんかではなかった。
Nがそんな欠けた人になったのは、べつにNのせいなんかじゃなかったけど。


でも、僕がそれを正しく知った時には、もう遅かった。

「それじゃ……サヨナラ……!」

あの時の笑顔に僕がどれだけ腹を立てたか、きっとあいつはわかっていない。
巻き込んで欲しくないのに勝手に僕のことを巻き込んで、わけのわからない主張で振り回そうとするそんなヤツを相手に、発達しているはずの外面だけで対処できなかったことが敗因だったんだとは思う。
Nに対して遠慮なんかしたら負けだと、なぜか最初から思っていた。
どうしてかなんて、わからない。
ただ、気がついたらあいつは僕の心の中に深く入り込んでいた。まるで、抜けない棘のように。

「トウヤ」

ベルが、泣きそうな顔をしている。
ベルは優しくて、そして人の気持ちを察するのが上手い。
もしかしたら、僕の抱えている気持ちが伝わってしまったのかもしれない。
本音を隠すのは得意なほうだけど、ベルは幼馴染みだ。付き合いが長すぎて、もう彼女に本音を隠すなんて面倒なことはとんとやっていない。やりかたすら、忘れてしまった。
それは、チェレンに対しても同じだ。

「きみは、優しいね」

僕の頭を抱え込んでそう呟いたチェレンには、何も答えなかった。ただ、無言で首を横に振った。
べつに、優しいわけじゃない。ただ、腹が立つだけだ。
さんざん人を振り回しておきながら、勝手に答えを出して勝手に目の前から消えたNに。
最後の最後まで、そいつのことを理解できなかった自分自身に。

絶対に、許さない。
意地でも、忘れてなんかやらない。


だから、1年後。
なにごともなかったような顔で僕の前に現れて、「やあ」って手を挙げて笑ったNの顔に、問答無用でレシラムを突っ込ませてやった。

時間が経ったからって、僕が素直になるとでも思ったら大間違いだ。