19歳と23歳
大学生で、学生でありながら実業家で、さらにOZでは『キング・カズマ』で。
いくつもの肩書きを背負っている佳主馬は、なんだかんだで毎日それなりに忙しい。
大学の友人などは、その肩書きのほとんどを知らないわけで。バイトに明け暮れるわけでもないのにサークルにも入らず、ましてやコンパなどにはまず参加することのない佳主馬が毎日なにをそんなに忙しくしているのか、ちょくちょく話題になっているのは知っていた。
だから、友人のひとりにそれについて聞かれたとき、佳主馬はこう答えてやったことがある。
「家で恋人が待ってるから」
もちろん、その後大騒ぎになったが、べつに嘘をついたわけではない。
やることがたくさなって忙しい、それも理由のひとつだけれど。忙しいからこそ、少しでも時間が空くのなら好きな人と一緒にいたい。
それは、佳主馬の偽らざる本音であった。
「ただいま」
玄関で発したその言葉に、返事がなかったのは久しぶりだ。
取引先との打ち合わせが長引いて、家にたどり着いた時刻は予想を大幅に超過していた。寝る時間にはまだ少しばかり早いものの、決して早すぎるというわけでもない。
「寝てるかな」
春から大学院に進んだ健二も最近、妙に忙しいと言っていた。大事な学会が近いとかなんとかで、研究室全体が大変な騒ぎになっているらしい。
靴を脱ぎ、あまり足音を立てないようにしてリビングへと足を踏み入れる。案の定、レポート用紙を手にしたまま睡没している健二が、ソファの上にのびていた。
「……やっぱり」
寝るならせめてちゃんと部屋で、というのは言うだけ無駄だろう。
大体、健二が数学という餌を目の前にしておきながらこうやって寝落ちしていること自体、普通じゃない。寝るつもりなんてまったくなかったのに意識が途切れた、どうせそんなあたりだ。
起こしたほうがいいのはわかっているが、幸せそうに寝こけているのを邪魔するのも忍びない。それにどうせ起こすなら、目を覚ました途端に数学の世界へ行ってしまえる環境からは引き離しておきたい、というのが佳主馬の正直な気持ちで。
健二の手の中でしわくちゃになりかけているレポート用紙を引き抜いて、床とソファにバラバラと散らばっているものも拾い集めてテーブルへと避難させる。健二が起きる気配は、まだない。
よほど疲れているのだろうか。少なくとも、食事だけはちゃんとさせているはずだけれど。
……そういえば、今日はちゃんと夕飯を食べたのだろうか?
そんな、まるで保護者のようなことを考えながら、佳主馬は健二の顔をのぞき込む。健二の寝顔など何度も、それこそ数え切れないほど見ているはずなのに、飽きないのが不思議だ。
ずっと、追いかけてきた。身長と体格だけは追いついて追い越したけれど、その他はまったく追いつけた気がしない。
たぶん、勝てると自信を持って言えるのは、健二へと向かっている気持ちの大きさだけ。それだけは、誰にも負けない。
「健二さん」
互いの吐息が混じりそうなほどに顔を寄せて、小声でささやく。
その時。
「あ、佳主馬くん。おかえり」
「……っ、ただいま」
ぱちりと目を開けた健二が、至近距離にいる佳主馬に満面の笑顔を向けた。
「……起きてたの?」
「え? 今起きたけど」
なんというタイミングなのか。このタイミングがはたしていいのか悪いのか、佳主馬にはさっぱりわからない。
いつもであればここで勝手に健二が慌てるのだが、今日は寝起きに佳主馬の顔を至近距離で目の当たりにしても、まったく動じる様子はなかった。なぜかせっぱ詰まれば詰まるほど肝が据わる健二だったから、もしかしたら今それほどの緊急事態が発生しているのかと思いかけ──そんな訳がない、と佳主馬は小さくため息をつく。
「寝るなら、ちゃんと部屋で寝なよ。風邪ひくから」
どちらかといえば、それがいちばん切実だ。
なのに、呆れを隠そうとせずにそう呟いた佳主馬の瞳をじっと見上げて。
「だって佳主馬くんのこと、待ってたんだ」
健二は、またしても嬉しそうに笑うのだ。
「疲れてるなら、待ってなくていいのに」
「うん、だからね。疲れてたから、佳主馬くんに甘えたかっただけ」
さっきまでレポート用紙をつかんでいた腕が伸びてきて、佳主馬の首を引き寄せる。そのまま引っ張られて、佳主馬はそのままソファに倒れ込むはめになった。
とっさに手をついて身体を支えたけれど、健二はそれを許してくれなかった。首に回っていた腕が佳主馬の背中に周り、強く引き寄せられる。気づいたときには、佳主馬はソファに転がっていた健二の上へと、完全に乗り上げる体勢になっていて。
すぐ下を見下ろせば、嬉しそうな笑顔があった。
「……あんまり僕を甘やかさないほうがいいよ、健二さん」
「佳主馬くんを甘やかすなんて、僕には無理だなあ。僕は甘えっぱなしだけど」
そんなことを口にしながら背中を優しく撫でてくれる健二のほうこそ、甘やかしてくれていると佳主馬は思う。
健二がこうやって甘やかしてくれるから、佳主馬はここにいてもいいのだと思える。安心できる。
相手を好きだと、必要だと思う気持ちは、佳主馬のほうが確実に大きいから。だから、たまに不安になるのだ。
──でも、それをなにも言わずとも察しているのか。健二は時々、こうやって気持ちをわかりやすく伝えてくれる。
佳主馬が健二を必要としているように、健二も佳主馬を必要としているのだと。
「ところで健二さん、夕飯食べた?」
「あ」
「…………」
健二に抱きしめられたまま、佳主馬はふたたびため息をつく。
この状況をふいにするのは惜しいが、まずはこの年上の恋人にしっかり食事をさせる必要がありそうだ。本当に、このシチュエーションを無駄にするのはもったいないのだが。
「後で覚えてなよ」
「ど……努力する」
こうやって、たまに保護者のような気分にもなるのだけれど。
まあ、そういう意味で必要とされるのも、決して悪くない、と。
佳主馬は心の中でだけ、そう思うことにした。
佳主馬のほうが健二を甘やかすか、健二のほうが佳主馬を甘やかすかで、だいぶこのふたりのスタンスは変わってくる気がする。
これは、健二のほうが甘やかすver。
というわけで、『22歳と18歳』とは対になっていますが、同軸上の話かどうかは謎です。
もういっそカズケンの場合は、互いに互いを甘やかしあってればいいんじゃない?
という気もしなくはありません。