13歳と17歳 その2
「それ、なんの味?」
「オレンジ」
頭の上から声をかけられて、佳主馬は少しむっとしながら、それでも顔を仰向けた。縁側から庭へ足を下ろしてぶらぶらとさせていた佳主馬の背後に立ったのが健二だと、その声が聞こえてくるよりも前に、気配で分かったからだ。
座ったまま見上げた先にいた健二はいつものように笑っていて、見下ろされているのは悔しかったけど、少し佳主馬の機嫌は上向きに修正される。
まったく、単純なものだ。
もちろん、健二がそんな佳主馬の心中に気づくはずもない。ぱちぱちと目を瞬かせたかと思ったら、なんだか楽しそうに目を細めている。
「あ、やっぱりみんな違うんだ」
そんな健二が手にしているのも、佳主馬と同じ食べかけのアイスキャンディーだ。
ただし、色が違う。
「健二さんのは?」
「これはソーダ。あ、ひとくち食べる?」
「……ちょうだい」
じっと見上げていたら、くれという視線と勘違いされたのか、健二は自分のアイスを佳主馬に差し出してきた。
べつにそれを狙っていたわけでもないが、くれるというのならためらう理由なんてない。どこに、そんな必要がある。
好きな人の食べかけをかじらせてもらえる機会を、みすみす手放せるものか。佳主馬は目の前に転がっているチャンスを見て見ぬふりできるような、そんな性格はしていない。
「はい、どうぞ」
「……ん」
目の前に差し出されたアイスキャンディーに歯を立てると、冷たくて甘い味が口の中に広がった。
いつもより甘く感じるのは、たぶん気のせい。
ついでに美味しく感じるのも、きっと気のせい。
冷たいアイスをかじったはずなのに、なぜか全身が熱く火照ったような気がしたのは──気のせいではないかも、しれない。
「美味しい?」
「いつもと同じ」
「あはは、だよね」
いつも通りの素っ気ない言葉を口にするのは、かなりの努力が必要だった。それが露見しないですんだことに少し安堵する佳主馬の隣に座り込んで、健二は嬉しそうに笑っている。
陽が高く昇った上田の夏は、暑い。
すぐに溶けていくアイスキャンディーを慌てて舐めとる健二の姿をちらりと横目で見てから、佳主馬は自分の右手を健二の目の前に突き出した。
もちろん、その手に握られているのは、オレンジ色の棒アイス。
「お兄さんも食べる?」
「うん、ありがとう!」
やっぱり嬉しそうに笑って、健二は佳主馬のアイスを口の中に入れる。当たり前だけど、躊躇する様子なんて見られない。
そう、これで当然。
でも、こっちは明らかに狙ってやったことを、佳主馬自身がよく知っていた。
(……よし、これで)
心の中で、ひとり数える。
間接キス、締めて2回獲得。
「あ、健二くん見つけた」
「夏希先輩」
縁側に並んで座ったまま、溶けかけのアイスをすっかり食べきった頃。
ぱたぱたと軽い足音と共に、弾んだ声が佳主馬の背中に当たって──そして落ちた。
夏希の声に応えたのは、名前を呼ばれた当人だ。佳主馬の隣で、アイスキャンディーの棒だけを手に斜め後ろを振り向いている。
その表情に、視線に、愛しさが浮かぶ光景を見るのもそろそろ慣れた。そもそも、元から健二は夏希のことが好きだったわけで。
そんなことは、佳主馬もよく知っている。そのことに気づかなかった人なんて、それこそこの陣内家には誰もいない。
「なーんだ、健二くんと佳主馬もアイス食べてたの?」
「あ、はい。万里子さんに頂いたんです」
そしてあの日以来、夏希が健二に向ける視線にも、別の感情が混じるようになった。健二がそれに気づいているかどうかは甚だ怪しかったが、少なくとも佳主馬はわかっている。なにしろ、自分が健二に向けている感情と同じ種類だったので、嫌でもわかってしまった。
まあ、これも気づいていない人のほうが少ないだろう。
もしかしたら、知らないのは当の本人だけかもしれない。
「私ももらったんだ、ほら」
得意気に夏希が指し示したのは、右手に握っていた、今度は黄色いアイスキャンディー。
まだ冷凍庫から出してきたばかりなのか、少しかじった跡はあるものの、まだほとんど溶けてはいない。
「黄色……それって、なんの味ですか?」
色から味を想像しようとして挫折したのか、健二が首を傾げる。
そういえば、健二は何種類もの味のアイスキャンディーが無造作に詰め込まれた、あの箱を初めて見たと言っていた。だから、味を知らないというわけだ。
佳主馬が物心ついた頃にはもうすでにこの陣内家に出入りするようになっていたし、夏にここへ来れば必ずあのアイスの箱が出迎えてくれる。なので、色を見ただけでどんな味なのかなど、すぐにわかってしまうのだけど。
(来年には、健二さんもわかるようになってるかな)
わかるようになるほど長く、ここにこのままいてくれればいいのに。
そして、来年も来てくれればいい。
(……って、他力本願になってどうするわけ)
そう、欲しいものは自力でつかみ取らなければ。
でも、アイスキャンディーの棒をかじりながらぼんやりとそんなことを考えていた佳主馬を、現実へと引き戻したのは。
「パイナップル。健二くん、味見する?」
どこか嬉しそうな、夏希の声と。
「いっ……えええええええっ、そ、そそそそんな、む、無理です!」
どうしたらいいかわからないと全身でそう表現している、健二の悲鳴だった。
「…………」
まあ、健二ならそうだろう。そこで、喜んで夏希の食べかけアイスに口をつける健二の姿というのは、あまり想像できない。できない、が。
(どこまで奥手なんだよ、この人)
それこそ、中学生の佳主馬でも、降ってきたチャンスはしっかりモノにするというのに。
「えー、なんで?」
「だっ、だだだだって、か、か……か……」
「間接キス?」
「わーーーーーっ!!!!」
真っ赤になって、胸元でなにかをかき消すかのように両手を必死で振っている健二の姿は、ある意味青春まっさかり、ではある。佳主馬にとっては、面白くないことこの上ない、が。
まあ、目の当たりにしてしまえば受け入れざるをえない、事実だ。
(間接キスをまったく気にされないのも面白くないけど、でも気にされないからこそ狙えるってのもどうなの)
面白くないけど、嬉しい。嬉しいけど、複雑な気分。
ただのゴミと化した、それでもなんの罪もない哀れなアイスの棒に、つい八つ当たりをしようかと思ったら。
「……あれ? 佳主馬くん、どうしたの? 機嫌悪い?」
──夏希と喋っていたはずの健二がなぜか少し心配そうに佳主馬の顔をのぞき込んでいて、少し複雑な気分が嬉しい方へと傾く。
でも。それは、たしかに嬉しいけど。
「べつに、なんでも」
気づいて欲しいことには気づいてくれないくせに、なんでそんなとこばっかり気づくんだ、と。
佳主馬は心の中で、深いため息をついた。
「シシシッ、苦戦しそうだな」
「……なにが」
からかい半分の笑みを含んだその声は、突然降ってきた。もちろん、頭の上から。
健二は今、この納戸にいない。先刻、縁側で遭遇した夏希が腕を引っ張って、どこかへ連れて行った。
あいにく、佳主馬はそれを邪魔できる正当な理由を持っていなかったので、今はこうやってひとり、自分のパーソナルスペースへと戻ってきている。
そもそも、佳主馬だって夏希のことが嫌いなわけじゃない。むしろ、好きだった。親戚として、身内として、かなり。
だからこそ、本当は彼女にも幸せになって欲しいのだ。
ただ、それ以上に。
健二のことが、好きなだけで。
「過剰に甘えるなら、まだ身体が小さい今のウチだと思うぜ?」
振り向かなくてもわかる。佳主馬の背後に立って、そして佳主馬を見下ろしているひょろりと背の高い男。
10年ぶりに会うその親戚のことを、佳主馬はまだよく知らない。ただ、天才的な頭脳を持つプログラマーで、一癖も二癖もある性格をしていて、そして41歳とは思えないほどに子どもっぽい部分を持っていることだけはよく知っている。
そのせいだろうか。チラリと上目遣いで見上げた侘助は、ブドウ味のアイスキャンディーを手にしていた。
「……なんでそんなこと、わかるの」
「経験上」
「…………」
しかもその侘助は、そんなことを言い捨ててさっさと納戸を出て行ってしまう。
一体、何をしに来たのか。というか、経験上って、誰相手になのか。
(甘える……ね)
だから弾みで、今のあの外見を持つ侘助が、まるで子どものように誰かへと甘えるところを想像してしまって。
「……キモ」
つい、ぽろりと本音が漏れたけど。
せっかくなので、その助言は有効的に活用することにした。
サマーウォーズのお約束、アイスで小ネタ。
現在軸の佳主馬→健二で、そしてナツケン←カズになってみて、なぜか(健二←)佳主馬+侘助(→?)で終わる。
テーマは「間接キス」でした。