14歳と18歳
今年も、佐久間敬にリア充なクリスマスなんてやってくる予定はなかった。まったく、これっぽっちも、哀しいくらいに可能性すらなかった。
仮にも、天下御免の受験生。それどころじゃないという名目はあるにはあるが、あいにくそれが本気で建前でしかないことは、佐久間本人が嫌というほど知っている。PC部ならぬオタク部ならぬ物理部所属の理系バカ、草食系男子に構ってくれる同年代女子など、そうそう簡単に転がっていたりしないのだ。
だから、今年もいつもと同じようなクリスマスイブになるはずだった。同じくクリスマス中止のお知らせをもらっているはずの親友と一緒に、互いの哀しい境遇を慰め合う。わびしいことこの上ないが、気の置けない間柄であるという意味では、これ以上気楽な集いもない。
とはいえ、口ではなんだかんだ言っていても、実際はそこまで異性への興味が強いわけでもない佐久間と健二のことだ。最初のうちこそ独り身であることへの愚痴がこぼれるものの、そんな時間は意外とあっさり片付けられてしまい、結局はいつも部室で過ごしている時間とあまり変わらないことになるのだ、が。
今年は、ほんの少しだけ事情が違った。
可能性すらなかった佐久間に奇跡が起こったわけでは、もちろんない。草食系度なんてものを計ったのなら、確実に佐久間以上の数値を叩き出すことになるだろう健二にそんな相手ができたわけでもない。健二はつい一年近く前に、せっかく立っていた一生に一度かもしれないフラグを、自らの手でばっきりと折ったところだ。
では、なにが違うのかといえば。
「佐久間さん、これどうするの」
「そのへんに置いときゃいいんじゃね? なー、健二」
「あー、箱開けちゃおうか、ジャマだし。佳主馬くん、貸して」
「わかった」
なんと、人数が増えたのだ。二人から、三人に。
その三人目は名古屋在住の中学二年生、OMCの連勝記録を着々と更新している現チャンピオンで、名前を池沢佳主馬という。まだ弱冠十四歳ながら様々な肩書きを持つこの年下の友人は、平均より背は低いものの(気にしているらしいので、本人の前で言ったことはない)顔は整っているし、少々とっつきは悪いものの意外と面倒見は良かったりしてどう考えても女子人気は高そうなものなのだが、なぜかこんなところにいた。
しかも、わざわざ名古屋から東京まで足を伸ばして、だ。今日は土曜日だからたしかに中学は休みだろうが、だがしかし。
ちなみに、本人に直接理由を聞いてみたら。
「こっちで仕事の打ち合わせがあったから」
などと、さらっと言ってくれた。それが本当の理由かどうかは、佐久間も知らない。
とりあえず、追求しないことにしている。今は、まだ。
「おーい、ケーキどうすんだ? 冷蔵庫入らないだろ」
「あー」
先ほど駅前で買ってきたケーキの箱を指差せば、フライドチキンのボックスを開けて中身を大皿へとあけようとしていた健二が振り返った。小磯家の冷蔵庫はファミリータイプのそこそこ大きなものだったが、仕事が忙しくてあまり家にいない健二の母が息子のためにあれやこれやと食料や調理済みの料理を詰め込んでいるので、じつは常にぎゅうぎゅうだ。
今日、三人の腹に収まることを予定されている料理の半分近くも、健二の母が事前に下ごしらえその他をしていってくれたものだった。忙しいはずなのにそのあたりの手は抜かないあたり、息子に構えない時間をなんとかして埋めようとしている母親の努力が垣間見える。ただ、佐久間がそれに気づいたのは、比較的最近だったりするのだが。
健二が気づいているかどうかは、聞いたことがないのでわからない。
「ベランダに出しとけばいいよ。外、天然の冷蔵庫だろ」
ただ、おそらくは気づいているのだろう。
だからこそ、寂しさを感じていたとしても、佐久間の親友は意外とまっすぐに前を向いていられるのだろうと思うから。
とりあえず、今日はクリスマスイブだ。
彼女不在の野郎ばっかり三人、さみしく顔を付き合わせてのパーティーだが、まあひとりよりはマシだというもので。
「んじゃまー、と」
「メリークリスマス!」
「まだイブでしょ」
「いいから、いいから。かんぱーい!」
こうやって、三人で。
子ども用シャンパンを注いだグラスを合わせるのも、悪くない。
酔っているはずは、ない。
あるわけがない。なにしろテーブルの上に並んでいたのは、子ども用シャンパンだ。シャンパンとは名ばかりの炭酸ジュースを飲んで酔っぱらえる人がいるのなら、一度お目にかかってみたい。
だとすれば、今、佐久間敬は間違いなく素面だというわけだ。もちろん佐久間だけではなく、健二も佳主馬も、全員。
それなのに。
「それ、チョコケーキ?」
「ブッシュ・ド・ノエルだよ。食べてみる?」
「ちょうだい」
「それじゃ、口開けて」
「…………」
「どう?」
「おいしい」
なぜ、目の前で繰り広げられている光景のせいで、こんないたたまれない気分にならなければいけないのか。
互いに食べているケーキを味見しあうなんて、普通だ。最初は大きなホールのデコレーションケーキを買おうとしたのだが、あいにく予算オーバーだったのでピース売りしているものをいくつか買ってきた。どうせ数を買うのなら違う味がいいと、ブッシュ・ド・ノエルとガトーショコラ、イチゴのショートケーキ、レアチーズケーキ、ザッハトルテ、オペラと無駄に種類が揃っている。ひとり二つがノルマで、チョコ系が多いのは健二の趣味だ。
それで、味見はいい。普通に同じフォークで回し食べくらいする。相手が女子なら少しは気にもするが、男相手なら気にするだけバカバカしい。風邪でもひいているなら、話はべつとして。
ただ、普通に味見する場合、そのままケーキの皿とフォークを相手に渡すことが多いはずだ。佐久間は、ずっとそう信じていた。
今、目の前で親友がじつに嬉しそうな顔で、佳主馬の口にフォークを突っ込むまでは。
一口大に切り分けられたケーキが突き刺さったフォークを目の前に差し出された佳主馬は、さすがにしばし硬直していた。一瞬とはいえ訪れた沈黙が、その証だろう。
「佳主馬くんのはガトーショコラだっけ」
「食べる?」
「ちょうだい!」
「……はい」
「ありがと! おいしいなあ」
「……よかったね」
だが、あまりに嬉しそうな健二の姿を見てあきらめたのか、それとも腹をくくったのか。おとなしく口を開けただけではなく、佳主馬の食べていたケーキを味見したがる健二に対して、同じように一口サイズに切り分けたケーキを食べさせてやっていた。
(やっぱ、キングってすげえや)
弟みたいな存在ができて嬉しいのか、健二がなにかと佳主馬の世話をしたがっていたのは佐久間も知っている。とはいえ、佳主馬はもう十四歳だ。十四歳にしては小さいが、一応中学生だ。幼児相手じゃあるまいし、今のはどうかと思う。
なのに、それを一瞬硬直するだけで流してしまって、しかも健二が望んでいることをあっさり叶えてやるとは。
おそらく、佳主馬がいわゆる「あーん」をやり返したのは意趣返しなのだろうが、健二がまったく恥ずかしがらなかったどころか大変喜んでしまったので、意味はなかったようだ。
(まあ、いいのかねえ……?)
実の両親に甘えられない分、こうやって佳主馬や佐久間に甘えていると思えばいいのかもしれない。健二は、両親が自分を愛してくれていることを、きっと知っている。だからこそ、あまりわがままを言わない。
今年は、佐久間と健二の二人だけではない。もうひとり、健二にとって大切な友人がいる。
だからこそ、浮かれているのだろうから。
……そこまで考えて、やっとひとつの結論に達した。
「おまえ、絶対に酒、弱いだろ」
「へ? 今日、酒なんか飲んでないじゃん」
三本目のシャンパン(もちろん子ども用)の栓を抜こうとしていた健二が、佐久間のほうへと視線を向けて目を丸くする。だから、健二の向こうから佐久間に向かって、佳主馬がこくこくと何度も同意するようにうなずいていたことは、きっと知らない。
「いや。絶対おまえ、酔えるものにはことごとく酔うはずだ。保証する」
「なにそれ」
つまり健二は、場の雰囲気に酔っていたんだと。
佐久間はそう、納得することにする。
──それはそれでかなりの問題があることには、無理矢理目をつぶった。
(俺のことじゃないし、いいわ)
それが、紛れもない本音。