no title side R/S

「……おおっと」

あまりにも予想外の光景を目の当たりにして、つい足が止まってしまった。
季節は冬、天気は決して悪くないが、とにかく風が冷たい。こんな日は寄り道せずに帰るに限ると、足早に帰宅途中のことだ。
近道をしようとして、駅前の大通り途中から伸びる道へと足を踏み入れる。この道は車が入れないせいもあってあまり人が通ることもなく、この道を通らなければ入ることのできない大通りの1本裏にある道など、本気でたまにしか人が通らない。それもあって、佐久間はしばしば通学時に使っていたのだが。

「うーん」

べつに毎日ここを通っているわけでもないのに、なぜ今日に限ってこんな場面に遭遇してしまうのか。というか、なぜ気がついてしまったのか。気がつかなければ、少しばかりいろいろとおかしくてもそのあたりには目をつぶって、よくあることだと自分を納得させられただろうに。

(うは、ヤバいもん見ちまった)

最初に脳裏をよぎっていったのはそんなみもふたもない、だからこそどう対処すればいいのかわからない、そんな心の叫びだ。

人気のない細い路地裏、まるで壁にはりつくようにして、ふたりの人間が抱き合っていた。というか、普通にキスしていた。
まあ、それはいい。他人様のラブシーンなぞ見る気もないというか見たくもないが、目に入ってしまった以上は少しくらい観察しても許されるだろう。なんといっても、こちとら青春真っ盛りの高校生男子。見られたくないなら、そんなイチャイチャは人のいないところでやれ。だから自分は悪くない、佐久間としてはそう主張したい。

──の、だが。

「おや?」

そのいちゃついてるカップルの片割れ、どう見ても主導権を握っているように見えるほうが自分の知り合いで。
しかも相手を閉じこめるように塀へと腕をついたまま、まるで動じていないような笑顔を浮かべて振り返った場合、どうすればいいのだろうか。
当たり前だがこんなときの対処法などOZの保守点検マニュアルになぞ載っていないし、学校でも習わない。親が教えてくれるわけもなく、成績はともかく頭の回転の速さにはそこそこの自信があった佐久間も、なんと言えばいいのかわからずに瞬間固まる。

「あー……ども。理一さん」

佐久間がこの自衛隊員だという24歳年上の男性と知り合ったのは、半年前の夏だ。
親友が巻き込まれた、というよりは自ら首を突っ込んだOZのトラブルならぬ世界の危機において、共に事態を解決へと導くことになったのは記憶に新しい。事件が解決したあとも、理一は佐久間の親友である健二とたびたび連絡を取っていたようで、その関係で何度か東京で会ったこともあった。
そのときの印象は、年のわりにはとっつきやすくてお茶目な有能な人、という至ってまっとうなもので留まっていたのだが。
そんな、佐久間が今この場においてはどうでもいいというよりは、なんの役にも立たない過去を思い返して現実逃避をしている間に。

「しっ、失礼します……!」
「おや」
「あ」

街中で理一とのキスシーンを披露していた相手は、這々の体で逃げていってしまった。

(ま、そりゃそーだわな)

少しだけ冷静になって、佐久間は心の中でうなずく。見間違いでなければ、今、悲鳴のような声をあげながら走り去っていったのは、性別・男だった。年齢はよくわからなかったが、成人前には見えなかった気がする。

(ふーん、理一さんってそーゆー趣味だったんだ)

やはり、自衛隊の人なのだろうか。

(自衛隊ってーと女っ気少ないしなあ、そうなるのかね)

そんなことを考えられるようになった程度には、落ち着けたのだろうか。
佐久間は、ぼんやりと頭の隅でそんなことを思う。

「邪魔はいけないな、佐久間くん」
「こんなトコでがっついてるからでしょ」
「ははは」

邪魔はいけないと口では言っていても、顔は笑っている。その顔に浮かぶ表情を注意深く見てみる限り、獲物(どう考えても獲物だろう、あれは)を逃がしてしまったことを怒っているわけでも、惜しく思っているわけでもなさそうだ。

「早く追いかけないと、見失っちゃいますよ」
「うん、そうだね」

哀れな男が走り去っていったほうを指差せば、またしても理一はなんとも表現しがたいあいまいな笑みを見せる。
まあ、この人のことだ。興がそがれてしまえばそれで終わり、それも納得できなくはない。
どちらにしろ、今ここで佐久間が選べる道は。

「それじゃ、ジャマしてスイマセンでした」

この舞台からの退場、これしかないだろう。
軽く頭を下げて、きびすを返す。つい先刻ここにいた人物が逃げ去った方向とは逆へと進むのが、ここでは正しいはずだ。家からは遠ざかるが、帰れなくはない。遠回りをすると思えば、それでいいわけで。
なのに。

「ああ、ちょっと待って」
「へ?」

なぜか、理一に腕を掴まれた。
強い力ではない。振り払おうと思えば、たぶんできる。
でも、つい振り返ってしまった。……目と目が、合う。

「君が埋め合わせしてくれるなら、それでいいよ」
「はあ?」

そして落とされる、爆弾。
あまりにも唐突すぎて、意味なんてわからなかった。
それでも、必死に頭を働かせる。埋め合わせ。……埋め合わせ?
デートの邪魔をした結果の埋め合わせということは、つまり、そういうことだと考えるのがいちばん普通で。

「嫌かい?」

嫌もなにも、冷静に考えればそれ以前の問題なのではなかろうか。

(ああ、でも、そっか。この人、そーゆー趣味なんだっけ)

男相手のデートの埋め合わせなら、たしかに代役が男でもおかしくはない。
ただ、それにしてはあまりにもその場しのぎな気はする。

(……あ、わかった。遊び慣れてるのか、この人)

そう思えば、納得だ。
ただ、あいにく佐久間自身には、そんな要素がどこにもない。

「俺、そーゆー趣味ないんですけど」
「うん、まあ、そうだろうね。でも」

ふ、と理一が口の端を上げる。
それだけで色香が漂うというのも、おかしくはないか。41歳だろう、この人。

「佐久間くんのこと、興味あるから」

この状況でこの言葉がさらりと出てくるあたりも、やはり普通ではない。

(どんだけ遊び慣れてるんだ、この人)

そう思ってしまっても、誰も佐久間に文句は言えないはずだ。
もちろん、そんな理一の遊びに付き合ってやる義理などどこにもない。さっさと逃げた相手を追いかけろと、そう言おうとしたのに。

「……ま、いいですけど」

なぜか、一瞬。
つい最近、人生を踏み外した親友の顔が脳裏に浮かんでしまった。
奥手にもほどがある親友が男に走ったことに、拒否感や嫌悪感はない。幸せならそれでいいと普通に思えた自分が意外と恋愛に関してアバウトだったことに気づけたのは、新たな発見とも言える。
どう見ても学校一人気の先輩といい雰囲気になっていたのに、なぜかそちらではなく意外なほうへと転んだことは、たしかに驚いたが。というか、実際に飲んでいたお茶をすべて床に飲ませてしまうほどには驚愕したが。
……ただ、ふと思ったのだ。
心情としてはまったく違ってはいても、自分も同じ立場に立ってみれば、もしかしたら少しは親友の気持ちもわかるのではないか、と。

「じゃあ、そういうことで」
「って、ガチで?」
「もちろん」

そして一度口にしてしまえば、それを反故にしてもらえるわけがない。
肩に手を回されて、さすがにいくら人通りがないとはいえ公衆の面前でそれはどうかと思いはしたものの、面倒だから口には出さなかった。

(ま、好奇心ってやつ?)

どう考えても自分より上手な相手を選ぶのは、正直なところ間違っている。
それはわかってはいるものの、他にそんな検証じみたもの──というよりは遊びに付き合ってくれそうな人なんて、思い当たらない。
なら、これはちょうどいい機会だろう。一度気になってしまえば、どうせいつまでもちらちらと気になってしまって仕方がないのだ。疑問は、さっさと解決しておくに限る。
……それに、世界を間違った方に広げてみるのも、悪くはない。
そう納得して、佐久間は腕を振り払うこともしないままに歩き出した。


──佐久間が『好奇心猫をも殺す』ということわざの存在を知ったのは、そのしばらく後のことになる。




いろいろスイマセン(土下座)。
続きません。