先手必勝


耳元で告げられた名前は予想外どころか天地がひっくり返ってもありえないはずのもので、本気で頭がどうかなるかと思った。
さすがに聞き捨てならなくて、なんかすっかり乗っかられているレッドのジャケットを背中側から引っ張って引っぺがそうとした──が、この野郎、びくともしない。
いつのまにか、オレの二の腕を掴んでいたはずのレッドの手は、その場所を変えていた。オレの頭を抱え込むようにしている。
いや、待て。本気で待て。何がどうなってるのか未だに理解してないけど、いいから待て。
とりあえず、今のが冗談でもなんでもないと仮定して、だ。
冗談の可能性も80パーセントくらい残しておいて、だ。
ひとつ、絶対に訂正しておかなけりゃいけないことがある。

「いや、ちょっと待て。冷静になれ。オレに失恋とかありえねえ!」
「なんで」
「そっ……、そんなん考えるまでもねえだろ! ずっとおまえのこと、好きだったからに決まってる……!!」
「え?」
「あ」

……あ、言っちまった。
オレに失恋とかありえないってこと、言いたかっただけなのに!
な……何やってんだ、オレ!?

「…………」

オレの自爆に反応したのか、レッドがゆっくりと顔を上げた。
深い色をした瞳が、探るようにオレを見つめてくる。その瞳に嫌悪の色がないことを確かめて、オレは情けないが安堵の息を吐いた。
……いや、だって、そこがいちばん大事だろ?

「……いつから?」
「んなの、覚えてねえよ! そんくらい前だよ!」

とりあえず、会話を続けてもらえる程度には平気らしい。
というか、そもそもオレに失恋したとかたわけたことを言い出したのはレッドなわけで……あれ?
つまり、これってどういうことだ?

「じゃあ、なんでぼく、失恋したことになってるわけ?」

オレが事態を把握できないまま目を白黒させていると、レッドがことりと小さく首を傾げた。
その瞳に浮かんでいるのは、純粋な疑問。そんな、答えをよこせって目で見られても本気で困る。

「知るか! オレが聞きてえよ!!」

なんかもう、次から次へとわけわからんことが立て続けで泣きそうだ。
つーか、結局何が起こってるんだ。オレは悲しめばいいのか、喜べばいいのか、それともドツボになっとけばいいのか?
そもそも、話の起点はどこなんだ。レッドが失恋した相手って、ホントにオレなのか? それを真に受けていいのか? 真に受けた途端に地獄へたたき落とされるとかなんじゃないのか。ドッキリだろ、これ絶対。
でも、混乱しきったオレを助けてくれるものなんか、ここにはいなくて。

「まあ、いいや」

なぜか、嬉しそうに笑ったレッドの顔が近づいてくる。
その笑みがあまりにもきれいで、一瞬見とれた隙に。

「ぼくたち、両想いだったんだ」
「んんっ!?」

そのまま、視界と唇がふさがれた。
──あ、レッドのまつげ、長い。
…………じゃ、なくて!!
レッドのキスは慣れてないせいかぎこちなくて、意識のすべてを持っていかれるようなそんなとんでもないものじゃなかったことに少し安堵した。というか、慣れてないことにホッとした。
それでも押しつけられた唇はやわらかくて、今までさんざん押さえつけてきた本能に火をつけるには十分な刺激だった気がする。
ぺろりと唇を舐められて、びくりと全身が震えた。マジでヤバイ。つーか、流されてる場合じゃない。
理性が大混乱起こしてる隙に、本能暴れるんじゃない!

「ち……っ、ちょっ、やめ! 待て! レッド、おまえなにしてる!?」
「……ダメなの?」

本能のままに上に乗っている身体を力一杯抱きしめてしまいそうになっていた両腕をなんとか叱咤して、レッドの肩を押しのけた。
キスの途中で無理矢理剥がされたレッドは、わかりやすく不満そうだ。おまえ、こんな時だけ素直に感情を表に出すな。オレの理性を崩壊させるな!

「ひ……人が我慢してるっつーに……! つーか、今までずっと我慢してたっつーに……!」
「なんで我慢しなきゃいけないの」
「なんでって……レッド、おまえ意味わかってんのか!?」
「わかってる。ぼくはグリーンが好きで、グリーンはぼくのこと好きなんだよね?」

今まであえて考えまいとしていた事象をあっさり一文で突き付けられて、オレはそのままかちんと固まる。
レッドが失恋した相手はオレで、そのオレはそれこそ気がついたらレッドのことが好きだった。その事実から導き出される答えは、ひとつしかない。今、レッドが言った通りのことだ。
でも、オレはどうしてもそれが信じられなかった。だって、ありえない。
レッドがオレに失恋したと、そう思いこんだ原因はわからなくもない。この恋心をはっきりと自覚する前にオレがレッドにとっていた態度を思い返せば、一発だ。好きだからいじめたいのテンプレ行動ではあったけど、そんなのその態度を向けられていた本人が理解してくれるはずもないわけで。
で、そんな態度しか見せてなかったオレのことを、レッドが好きになったっていうのが信じられない。何なんだ、こいつどんだけ趣味が悪いんだ?
でも、オレはレッドが嘘なんかつかないことも知っている。オレとは違うんだ、こいつは。
……じゃあ、やっぱりそうなのか? オレがレッドのことを好きなのは当然として、レッドもオレのことが好きなのか? そんなこと、ありえるのか。それが本当なら、死ぬほど嬉しいけど。
というかオレ、どんだけ期待してなかったんだ。
ありえないと思っていたことがどうやら現実になってしまったらしい今、むしろその事実にがく然とした。オレ、少しも夢見てなかったんだな。

「そ……う、なるの……か?」
「なら、なにも問題ない」
「うわっ!? おい、ま……んっ」

──そして、レッドはいつだって決断も早ければ、行動も早いのだ。それをすっかり忘れていたオレ自身を、今は呪いたい。
首筋に軽く噛みつかれて、変な声が出た。噛みついた場所を、レッドの舌が優しくたどっていく。
ぞくりと背筋に震えが走って、とっさにレッドのジャケットを掴んだ。
こんなの、反応するなってほうが無理だ。好きなヤツに触られて、興奮しないほうがおかしい。
というか、そもそもいろいろとおかしい。期待なんかしてなさすぎて考えたこともなかったけど、やっぱり根本的にものすごくおかしいことがある!

「ちょ……っ、ちょい待て!」
「なに」

またしても無理矢理レッドをひっぺがしたら、さっき以上に不満そうな顔をされた。
なんで邪魔するの、とでも言いたげだ。
大体、思い切りよすぎるだろうが。たった今、じつは両想いだったってことが判明して、その直後にいきなりこれか!?
いや、オレの本能はそれに大賛成してるが、その本能的にもちょっとツッコミたい部分がある。
気にしたら負けなのかもしれないが、やっぱりここは男として!

「なんで、おまえが主導権握ってんだよ……!? つか、オレが下!? 下なのか!?」
「嫌なの?」

そんな、不思議そうな顔をしないで欲しい。

「い……嫌っつーか……その」
「なに」
「ううう……」

ぶっちゃけると、下が嫌ってわけじゃない。そのテの噂を聞く限りでは(なんでそんな噂知ってんだ、ってのは聞くな)痛いらしいし、できれば回避したいとは思うけど、そんなんじゃない。
オレは、不安なんだ。タナボタっていうか、未だに実感がわいてないままだから。
レッドが冗談でこんなことしようとしてるとは思わないけど、あまりにもずっとレッドのペースだったから、本当にそこにオレの意思が介在しているのか自信が持てないんだ。
レッドのことを好きなのは間違いないし、確かなんだけど。
でも、オレはまだ何もしてない。レッドにされっぱなしだ。
そんなの、嫌だ。オレだって、こんなにレッドのことが好きなのに。
──とは言っても、そんなことをレッドが納得できるような言葉にできるはずもなくて。
視線をさまよわせたままどうしたもんかと唸っていたら、小さくレッドが息を吐いた。

「……ま、いいか。こだわるものでもないし」
「は?」

もしかしたら、呆れられたかもしれない。
そんなことを考えながらレッドを見上げると、なぜか小さく笑っていた。
その笑みは、どこか包み込むような慈愛に満ちている。
……もしかして、哀れまれたんだろうか。それはそれで、たいへん切ない。

「グリーンに主導権、あげる。ぼくは、どうでもいい」
「どうでもいいって」
「どっちでもいい、のほうがいい?」
「……マジで?」
「ヘタレって主導権握ってないと不安なんだってね。忘れてた」
「ぶっ!?」

図星を指されて、思いっきり動揺した。
でも、何も言えない。自分でも情けないと思うし、どこまでヘタレなんだオレはって思う。
口をぱくぱくさせながら、それでも反論ひとつ口にしないオレを見つめるレッドは、じつに楽しそうだ。悪戯っぽく笑っている。
悔しいが、こんなにいろんな笑顔を見せるレッドは、初めて見た。
……そうさせているのはオレなんだって思うと、悔しさ以上に嬉しさがこみ上げてくるあたり、オレも本気でどうしようもない。

「だから、譲ってあげる。……違った?」
「…………おまえは、不安じゃねえのかよ」
「べつに」
「……これだから、生きた伝説サマは……」
「だって」

身体を起こしたレッドに、腕を引かれる。
上半身を起こして座った俺の足の上に、レッドが乗っているような体勢になる。
オレとレッドの身長は、さほど違わない。だから、結局はレッドに見下ろされているわけで。
見上げた顔が、自信ありげな笑みを浮かべる。

「失恋したわけでも片思いってわけでもないなら、不安になる要素なんてない。もう逃がすつもり、ないし」
「な……!?」
「覚悟してね」
「……おまえは……」
「なに?」
「なんでそうムダに男らしいんだよ!?」
「男だし」

そのままオレの首に腕を回したレッドに、そっと口づけられた。
触れるだけの、軽いキス。ついばむようなその動きが、くすぐったい。
そろそろとレッドの背中に腕を回して、抱きしめる。少しずつ力を入れていくと、レッドが満足げに息を吐いた。

「大好きだよ、グリーン」
「ば……っか野郎……そんなの、オレのほうがよっぽど好きに決まってんだろ!?」
「ふうん?」

だと、思う。どれだけヘタレで、幼馴染みでライバルといういちばん近かった場所から一歩も動けないほど臆病だったとしても、それだけは絶対に負けてないはずだ。
そんなところしか勝てないのもどうかとは思うが、どうせ他に勝てるところなんてどこにもない。だから、せめてそこだけは譲りたくなかった。
そんな対抗心を発揮したのが、はたしてよかったのか悪かったのか。

「なら、教えてよ」
「……っ!?」

まるで猫のように、レッドが頬ずりしてくる。
触れ合った身体に、密着していない部分なんてない。今にも爆発しそうな心臓の鼓動が、レッドに聞こえてしまいそうだ。
ああ、もう、情けない。でも、これを鎮める方法なんてない。
レッドがこんな近くに、オレの腕の中にいるのに、鎮められるわけがない。
そして──レッドは囁くように、オレの耳へと甘い声を落とす。

「どのくらいぼくのこと好きなのか、教えて?」

その笑みが、あまりにも幸せそうだったから。
つられて真っ赤になっていく顔を見せたくなくて、オレはレッドの唇にかみつくようなキスをした。


End.