はじまりの色

1


ねぐらにしている洞窟の中から、真っ白な外の世界を眺める。
今日も、シロガネ山の頂上にはあられが降っていた。たまにダイアモンドダストになることはあるが、ほとんどの日はあられだ。

(最近、ダイアモンドダストになったのっていつだっけ)

ふと、そんなことを考えて。ぼんやりと、その日のことを思い出す。
たしか、それはグリーンが来た日で、クリスマスの前の日だった。
正確には言われて初めてその日がいわゆるクリスマスイブと呼ばれる日だということに気づいたわけだが、まあいつものことだ。
こうやって山にこもっていると、カレンダーを見る習慣というものがまずなくなる。あの日も、クリスマスイブだということに気づかないまま話を聞いていたレッドに、グリーンが呆れた顔でツッコミを入れていた。

(……グリーンか)

3年ぶりに会いに行ってみたら手加減なしに右ストレートをお見舞いしてくれた幼馴染み兼ライバルは、それ以来たまにシロガネ山へとレッドを訪ねてくる。
来るたびに食料やら薬類やら木の実やら防寒具やらを抱えてくるので、雪山の上だというのにだいぶ快適に過ごせるようになっていた。むしろ、至れり尽くせりすぎて下山する必要がどこにもないくらいだ。
だからと言って、まったく下りなければ今度はグリーンが文句を言いにやってくる。レッドにしてみれば、必要なものはグリーンが運んできてくれるし、もうひとつの下山目的であるグリーンに会うという用事もそのついでに済んでしまうといったところなのだが、そう主張したところでよけい説教をくらうだけのような気もするので口にしたことはない。
ちなみに、レッドだってべつに仙人を目指しているわけではなかった。悟りを開くには、いろいろと余計なものが多すぎる。
一応、レッドだってそれなりに我慢しているものがあるわけだ。ただ、それはグリーンにはまったく伝わってはいないようだった。

(クリスマスのときだって、そうだったな)

なぜあの日、レッドが微妙に機嫌を損ねていたか、グリーンはきっとわかっていない。
わざわざシロガネ山を登ってまで、あの時グリーンが何をしにきたか。まさか、現世の時の流れに置き去りにされているレッドに現実を告げにきただけ、ではない。
ちゃんと、グリーンなりの用件があった。そして、最初はレッドも乗り気だったのだ。

「おまえ、今日は山下りてこいよ。クリスマスパーティすっから」
「……パーティ? やるの?」
「おう、トキワジムでな。毎年、ウチのジムのトレーナーたちとパーッとやってんだよ。あ、今年はヒビキもくるぞ。シルバー引きずってくるって言ってたな……ああ、シルバーっつーのはヒビキのライバルなんだけどさ」

そんな、グリーンの得意げな発言を聞くまでは。

「…………」
「……おーい? レッド?」

急に黙り込んだレッドの顔を、グリーンがのぞき込んでくる。その顔には、ほんの少しだけ気遣うような色が浮かんでいた気がした。なぜ、突然レッドが口をつぐんでしまったのか、その理由がさっぱりわからなかったからだろう。
じつは、レッドにもそのときはよくわかっていなかった。ただ、漠然と面白くないと思ってしまっただけで。
もちろん、誘ってくれたこと自体はレッドだって嬉しかった。
なにしろ、レッドはポケギアを持っていない。グリーンにもさんざん買えと言われ続けているが、面倒なのでつい先延ばしにしている。
つまり、レッドと連絡が取りたい場合、シロガネ山を登ってくるしかない。わざわざその手間を惜しまずに声をかけにきてくれたことを、喜ばないはずはなかった。表情には出なかったとしても。
なのだ、が。

(……なんで、みんなと一緒?)

どうしてか、そこに引っかかってしまった。
これが、たとえばマサラにあるグリーンの家で、とかであったならきっと何も思わなかった。ナナミやオーキド博士、もしかしたら呼ばれているかもしれない3年以上会っていない母親、そのあたりと一緒なのであれば、嬉しさに加えてちょっとくすぐったい気分になっただけだっただろう。彼らは家族であり、クリスマスの訪れを共に祝おうというときに一緒にいたとしても、レッドの心によけいなものをもたらしたりしない。
──レッドがグリーンと共にいるときに、その周りにいたとしても、何も違和感はない。
だが、グリーンはトキワジムで、と言った。しかも、ヒビキとその友達らしき人物まで呼んであるという。

(母さんとかナナミさんなら、まだ我慢するけど)

なぜ、ジムのトレーナーたちとか。
可愛がってるらしい後輩のヒビキとか。
そんな人たちを、レッドと一緒に呼ぶのか。そう思ってしまったレッドの心に広がったのは、イラッとかモヤッとしか表現しようのない気持ちだ。
だから、その時。深く考えずに言ってしまった。
……まるで、ヒビキに下山を促された時のように、反射的に。

「……行かない」
「いっ!?」

当然、いきなり黙りこくられたあげくにそんなことを言われたグリーンは目を丸くした。
それはそうだろう。グリーンにしてみれば、好意を無下にされたようなものだ。
大体、シロガネ山は軽い気持ちで足を伸ばせる場所ではない。それなりの覚悟とそれを裏付ける実力がなければ、登ることなど不可能である。

「って、おい! レッド、てめえ真顔で冗談言うんじゃねえよ!?」
「冗談なんか言ってない」
「朝っぱらから雪山までおまえを迎えにきた俺に向かって言うセリフか、それ!? なにが不満なんだよ!」

しかも今日、グリーンはそのためだけにこの山を登ってきたのだ。
そのため、すなわちレッドをクリスマスパーティに誘うためだけに。
ここでレッドが頷かなければ、グリーンは壮大な無駄足を踏んだことになる。クリスマスイブの午前中を、丸々潰して。
それくらいは、レッドもわかっていた。

(でも、面白くない)

一体、何が。
──レッド以外にも、グリーンに呼ばれた者がいることが?

「めんどくさい。他にいろんな人が来るなら、僕ひとり欠けたって問題ないよ」
「問題なくねえよ! いろんなヤツが来るから、おまえを連れて行きたいの!」
「なんで」
「おまえが3年も行方不明になってたからだよ!」
「でも、トキワジムのジムトレーナーとか全然覚えてないし」
「ひとりもかよ。いい加減覚えろよ、おまえ」
「……とにかく、行かない」

なぜ、ここまで意地になっているのか。レッド自身、少し不思議だった。
他に誰がいようと、関係ない。そこに行けば、少なくともグリーンはいるのだ。
ジムで開くパーティだから、確実にグリーンはあちこちにひっぱりだこだろうが、同じ空間にいられることは間違いない。シロガネ山とトキワシティの間に横たわる距離を思えば、そのほうがよほどいい気はする。せっかく、口実をグリーンが持ってきてくれたのだし。
でも、グリーンがレッドをほったらかしたまま、自分以外の人と楽しそうに笑っているのを見るのはあまり嬉しくない……気がする。

(……え?)

そこで、レッドはふと我に返った。
──つまり。
グリーンとふたりだけで今日を過ごせないことが、面白くないということなのか。

「だーっ、もう! わかった、ジムトレの顔と名前覚えろとか言わねえから!」

そして。
レッドが自らの思考の海の底へとぶくぶく沈んでいる間に、グリーンはグリーンでなにやら他の結論に達したらしい。
やっと現実へと戻って無言で視線を上げたレッドの様子に気づくことなく、額に手を当てたまま大きなため息をついている。

「言われても、覚えられない」
「ですよねー。つーか、なんか欲しいモンとかねえの? あんなら買ってやるから」

かと思えば、急にそんなことを言い出した。

(なにごと?)

グリーンの中で何が起こったのか、レッドにはいまひとつわからない。
もともとこの幼馴染みにしてライバルは世話好きというかお節介なところがあるが、いきなりそんなことを言い出すタイプではない。レッドに欲しいものがないかと聞く前に、勝手に自分で判断してあれこれ持ってくる。
その判断は大抵間違っていなくて、なんで欲しいものがわかるのか、といつもレッドは不思議にも思っているくらいだ。
だからといって、謝礼を要求するわけでもない。ニヤリと口の端を上げて笑いながら「ありがたく思え」なんてことは冗談交じりに言ったりするが、それだけだ。そこでレッドが素直に礼を言わなかったとしても、グリーンは最初から期待していないのか特に何も言わない。
それが、いきなりこれだ。
欲しいものがあるなら買ってやるから、以下略。
その、以下略された部分が大変気になる。

「なんで?」
「一応、クリスマスだろ。他にも、なんか希望があるなら聞いてやる。あ、俺ができることならな。だから、今日くらい俺の言うこと聞けよ。聞いて。お願いします、なんでもいいから下りてこい」

そしていざ聞いてみれば、びっくりするほど大盤振る舞いだった。しかも微妙に下手に出ているのか、それとも上から目線なのかわからない。

(僕をクリスマスパーティに連れて行きたいだけで、普通そこまでする?)

ある意味グリーンらしいような、よくよく考えればそうでもないような、となんともどっちつかずな有様だったので、つい勘ぐってしまいたくなる。
なので、レッドは素直にそれを口に出してしまった。

「……何か企んでる?」
「ねえよ! 要求、さっきからストレートに言ってんだろーが!」

そう叫んだグリーンの様子は、まさしく『吠える』と表現するのが正しかったような気がする。
レッドは慣れきってしまったのでわからないが、真冬の雪山の頂上なんてさぞかし寒いだろうに、グリーンのテンションは高いようだ。高いというか、単に苛立っているだけのような気もしなくはない。
どちらにしろ、グリーンの要求をまったく飲もうとしないレッドが原因なのは間違いないのだろう。ただ、レッドとしても言うことを聞きたくない事情があるわけで。

「なんで、そこまでして参加させたいわけ。まさか、僕がくるかこないか賭けでもしてる?」
「んな分の悪い賭け、誰がするか。みんな、おまえがこない方に賭けるわ」

レッドの問いかけに対するグリーンの返答は、もちろん聞くまでもない内容だった。
まったくもって、その通りだ。レッドだって、そんな賭けにはまず乗らない。
だとすれば、ますますグリーンがレッドを引きずっていくことに固執する理由はない。

「なら、べつにいなくてもいいと思うけど」

その事実に、レッドの虫の居所はますます悪くなったのだが。

「よくねえよ。俺がレッドと一緒にい……じゃなくて、レッドがいなきゃ意味ねえ……」

イライラを通り越して今度はふてくされたグリーンの独り言じみたつぶやきを、レッドのかなり優秀な耳はしっかり拾ってしまった。

「……え?」
「なっ、なんでもねえし! つーか、どーすんだよ!?」

一言一句聞き漏らしてなどいないのだが、一応聞き返してみる。そんなレッドの反応を目の当たりにして、グリーンはやっと我に返ったようだ。いっそ感心するほどの速さで視線を逸らすと、動揺を隠しきれない声で何かを叫んでいた。
だが、どう見ても耳が赤い。
たしかにシロガネ山の頂上は耳が赤くなりかねないほど寒いが、つい先ほどまでは普通の色をしていたのだから、寒さが理由というわけではないだろう。
──つまり、先刻のつぶやきはまぎれもないグリーンの本音だということだ。

「ふうん……そこまで言うなら、行ってもいいけど」

それを理解した途端、レッドの心にひっかかっていたわだかまりがきれいに溶けてなくなっていく。

(僕も大概、単純だよね)

もともと、自分が複雑怪奇な人間だとは思っていなかった。だが、想像以上だ。
こんなささいなことで、あっさりと気持ちが浮上する。

「……マジで?」
「そのかわり」

逸らしていた視線をあわてて戻し、ぽかんと口を開いたままレッドをまじまじと見つめるグリーンの瞳を、じっと見つめる。
びっくりするほどレッドに有利な条件を次々と持ち出して、譲歩に譲歩を重ねたわりには、驚いていた。口ではいろいろ言っていたくせに、本当にレッドが下山してまでクリスマスパーティに参加するとは思っていなかったようだ。

(グリーンは、わかってない)

たぶん、自分がどれだけレッドの思考や行動に影響を及ぼしているか、わかっていない。
でも、それを教えてしまうのは癪だった。

(僕だけ振り回されるなんて、まっぴらだ)

最近、特に強くそう思う。
もしかしたら、グリーンも同じようなことを思っているかもしれない。そう、思わないでもなかった。
だけど、心のどこかは正反対のことを主張している。
そうやって振り回されるのも、悪くない。
──ひとりではないような気が、するからだろうか。
ただ、それとこれとは話が別だ。

「さっき言ったこと、忘れないでね?」
「…………どれを?」

一応念押ししてみると、グリーンがわざとらしく首を傾げる。少しだけ、視線が泳いでいた。
もちろん、それにだまされるようなレッドではない。
少しだけ楽しい気分になったせいか、自然と小さな笑みが浮かんだ。忌々しそうに、グリーンが舌打ちしている。
よけいに、おかしくなった。

「希望、聞いてくれるって」
「……くそっ、わかってるよ!」

そう言って悔しがるグリーンの口元が嬉しそうにゆるんでいたのを見てしまったから、レッドはとうとう声をあげて笑ってしまい、グリーンにまたしても怒られたのだけど。
──本当は、グリーンが出してきた条件なんてどうでもよかった。

(僕が行かなかったら、意味ないんだ)

何がどう意味がないのかはわからないけど、グリーンがそう思ってくれたことが嬉しかった。
トキワジムで、ジムトレーナーたちと一緒に開くクリスマスパーティなのに、それでもレッドが参加することに意味を見出してくれる。
その事実が、こじれかけていたレッドの機嫌を直した。

(とりあえず、何してもらおうかな)

でも、せっかくだからグリーンの出してきた交換条件は活用させてもらおう。
特に、買ってほしいものとかはない。どうせ、せっかく得たその権利を行使しなくても泊めてくれるだろうしご飯も食べさせてくれるだろうから、しばらく保留にでもしておいたほうがいいかもしれない。グリーンが、約束を忘れてしまわない程度に。

(ちょっと楽しみかも)

表情にはまったく出てはいないどころかグリーンが思わずため息をつくほどの仏頂面だったが、じつはそんなことを考えていたせいでかなりわくわくしながらあの日、レッドはシロガネ山を下りたのだった。




さて、あれから何日経ったのか。
記憶を頼りに夜が来た回数を数えた限りでは、おそらく6日ほどなのだが。

(じゃあ、今日って今年最後の日?)

よく、気づけたものだ。それでなくても、カレンダーを無視した生活をしているというのに。

(そっか……会いたいな)

気づいてしまったら、無性にグリーンの顔が見たくなってきた。
そして、わき上がってくるもうひとつの欲求。今度こそ、グリーンとふたりで年越しの時間を過ごしたい。
クリスマスイブは夜遅くまでトキワジムで何人もの人が大騒ぎを繰り広げていたので、それどころではなかった。レッドたちより年下のヒビキとシルバーは早々に予備の部屋で寝落ちていたが、成人済みのジムトレーナーたちが酒を持ちだしていたからだ。
結局、バトルフィールドのど真ん中で酔いつぶれた大人たちに毛布をかけてまわり、割れ物をそこから隔離する羽目に陥っていたのは、ジムリーダーのグリーンだった。一応レッドも手伝ったが、あまり役には立っていない。
その後、疲れ切っていたのか執務室から繋がっている仮眠室でレッドもグリーンも泥のように寝入ってしまった。それもあって、クリスマス周辺の記憶はイブの午前中のものがいちばんはっきりしている。
そう、わざわざシロガネ山を登ってまで、グリーンがレッドを誘いにきたその時。

(なるほど……)

どうやら自分で思った以上に、グリーン以外のことはどうでもいいようだ。その事実に、レッドはやっと気づく。
そもそも、シロガネ山にこもったのだって、グリーンがきっかけだった。憎しみしか感じられなかったグリーンの視線から逃げて、ここへ来たのだ。
幸い、あれは少しばかり長すぎる時間が解決してくれたようで、3年ぶりに会ったグリーンはそんな目をしてはいなかった。
そのかわり、本気で殴られた。言葉にこそされなかったが、心配していたのだとグリーンの全身が主張していた。
あまり人がいいとは言えない笑みとともに告げられた「おかえり」の一言が、レッドの懸念をすべて溶かしていってくれた。
会えなかったらさみしいと言われて、あんなに嬉しかったのは初めてだ。
──これは、さすがに認めざるをえない。

「ねえ、ピカチュウ」
「ぴか?」

たき火の側でぼんやりと思考の海に浸っていたレッドの足元に丸まっていたピカチュウが、かけられた声に反応してぴくりと耳を揺らす。どうやら、眠っていたわけではないようだ。

「ちゃあ」

軽い身のこなしで起き上がると、ピカチュウはレッドの足を伝って肩の上へと登ってくる。尻尾を揺らしながら、先を促すようにレッドの頬に顔をすり寄せた。
その暖かくて小さな身体を優しく撫でながら、レッドはもう一度洞窟の外へと視線を向ける。
外は、相変わらずの吹雪。
でも、気のせいか、少しだけ勢いが弱まっているようにも見えた。
──レッドがそう思いたいだけかもしれないが。

「僕、グリーンのことが好きだったみたい」

幼馴染みとして、ずっと好きだった。ライバルとして、他の誰よりも特別だった。
だけど、気づけばそのラインを軽く越えていたようだ。そうでなければ、クリスマスイブをふたりで過ごしたかった、なんてことを一瞬でも考えるはずがない。
しかも、他のみんなと一緒だからといって、拗ねるはずもない。
一緒にいたいがために、あれこれ譲歩しようとしてくれたグリーンに、嬉しさを感じるはずもない。

(なんだ、そうだったんだ)

理解してしまえば、わかりやすかった。グリーンに懐いているヒビキの姿に、微笑ましさを感じると同時になんとも言い難い感情も抱くわけだ。ライバルに勝ってしまった相手というだけではなく、グリーンが兄のような気分で世話を焼いている相手だという部分に反応しているのだろう。
つまり、嫉妬というやつなのか。
こういうとき、あまり感情が顔に出ないことに感謝したくなる。
だが、たとえ顔に出なかったとしても、その気持ちはかなり自己主張が激しくて。

「誰にも、あげたくないみたいだ」

他の誰にも言えないけど、もしかしたらグリーンにすら伝えてはいけないのかもしれないけど、でも大切な相棒には知っていて欲しい。
そんな気持ちを込めた、一世一代の告白だったのに。

「ぴっか、ぴかぁー……」

ピカチュウからは、今頃気づいたのかとでも言いたげな呆れしか、伝わってこなかった。