天空海闊


誤解されがちだけど、ぼくはあんまり我慢強いほうじゃない。
無口でおとなしいとか無表情だとか何を考えているのかわからないとか、それはもういろいろ言われた。でも、それは単にぼくが心の中から言葉を取り出すのが下手で、ついでに感情に顔の表情が左右されにくいだけだ。だから、どうでもいいことはけっこうしゃべる。らしい。
あと、ぼくの表情筋はめんどくさがりなんだと思う。ぼく自身が、めんどくさがりだから。

「おまえはなに考えてんのかわかんないんじゃなくて、どっちかっつーとなんも考えてねーだけだよな……」

どこか遠い目をしてそうぼやいたのは、ぼくのたったひとりの幼馴染みだ。それはそのものずばりの正解で、さすが物心つく前からの付き合いだけあると、感心しながら拍手したこともある。
ちなみにそのときは、そんなんでいばるなって頭を殴られた。でも、その手に力なんて全然入ってなかったし、呆れたようにぼくを見たちょっとだけつり上がった目も「しょーがねーなー」と笑っていたような気がしたから、深く考えたことはない。
ただ、ああ、ぼくは許されてるんだなって、そんなことを思った。

そんなやりとりをしたのがいつだったか、じつはあんまり覚えていない。オーキド博士にポケモンをもらって旅に出る前だったような気はする。とりあえず、チャンピオンになる前だったのは確かだ。
最初は、それが嬉しかった。
グリーンという名前の幼馴染みは家族みたいに近い存在だったけど、血縁ってわけじゃない。なのに、家族のように受け入れてくれる。
それだけじゃない。ぼくたちは歳も同じで性別も同じで、しかも興味を抱くものまで同じで、なんだか家族よりも近いんじゃないかって錯覚するほどだった。性格は全然違うのに。

そんな、互いの境界線があやふやになるほど近いところにいた幼馴染みが遠くなったのは、ぼくたちの関係に『ライバル』と呼ばれるものが追加されてからだ。
べつに、ライバルが嫌だったわけじゃない。ライバルっていう互いに張り合う関係は、ぼくの心を沸き立たせた。グリーンに負けたくない一心でめんどくさがりやのぼくが努力もしたし、バトルすればとっても楽しい。なによりも、グリーンにおまえはオレのライバルなんだからって言われるたびに、わくわくしたりぞくぞくしたりした。
もちろん、嬉しくて。心が、全身が熱くて。
でも、ずっと一緒だったぼくたちの道は、そこで分かれてしまったんだ。
もちろん、大きく違えたわけじゃない。行く道は違っても、最終目的地は同じだった。
ポケモンリーグ。でも、そこへ行くまでの間は、たまにすれ違うことはあっても基本的にばらばらだ。
ライバルという関係に、グリーンはぼく以上にこだわっていた。そのせいかもしれない。
相変わらずグリーンはいろいろと足りないぼくを許してくれているっぽかったけど、呆れまじりに「しょーがねーな」と言いたげな目で見てくれることはあんまりなかった。逆に、悔しそうな目で見られることが多くなっていたと思う。
少しだけ意味合いの変わったその視線に、少しだけさみしいものを感じた。でも、それ以上に心が熱くなったのも事実だ。
上から目線の負け惜しみを口にしながら、ちょっとだけ泣きそうな顔になっているグリーンの姿に、なによりもどきどきした。泣きそうな顔がかわいいなんて、そんなことまで思った。
いっそ泣かせてみたいとか思いながら、セキエイ高原でチャンピオンになったばかりのグリーンからその座を奪い取っていざ本当に泣かせてみたら、満足感よりも焦りのほうが大きくて我ながら動揺した。でも、やっぱり泣いているグリーンはかわいくて思わず抱きしめたら、哀れんでるヒマがあるならさっさと殿堂入りしてこいと真っ赤な顔で怒られた。
でも、そのとき気づいた。泣いたせいで真っ赤なその目は笑ってこそいなかったけど、小さい頃から見慣れていた「しょーがねーな」という色を浮かべていたことに。
もう、張り合ってくれないの? ライバルじゃないの?
一瞬そんなことを思ったけど、それを確かめることはできなかった。だって、肯定されたら再起不能に陥りそうだったから。

そしてその後、ぼくたちの道は完全に分かれた。旅を続けることにしたぼくと、ジムリーダーとしてトキワに留まったグリーン。
ずっと一緒だと思っていたのに、ほとんど境目なんてなかったのに、いつのまにかぼくたちの間には壁ができていた。
たぶん、分厚いわけじゃない。固いわけでもない。
だけど、その壁の向こうにはもういけない。
グリーンがどう思っているかは、わからない。これは、ただのぼくの思い込みかもしれない。
でも、急にわからなくなってしまった。どこまで、グリーンに近づいていいのか。
なのに、グリーンはやっぱりぼくを許してくれる。

「たまにでいいから、連絡くらいよこせよ」

にやり、と。あまり人がいいとは言えない笑みを浮かべて、口角を上げて、やっぱり「しょーがねーヤツだな」とでも言いたげに笑った目で、グリーンはぼくを見送った。
その表情を目の当たりにして、胸をわしづかみにされたような痛みが生まれる。
昔は、ただ嬉しいだけだった。
なのに、いつのまに変わってしまったんだろう。もちろん、グリーンじゃない。
ぼくが、だ。
どうして、許してくれる視線に、もどかしさを感じるようになってしまったんだろう。
ぼくがきみから離れていくことをそんなにあっさり許してほしくないなんて、そんなことを思うようになってしまったんだろう。
どうせ許してくれなくたって、ぼくはトキワジムを離れられないグリーンを置いて、旅に出るのに。

そんなことをぐるぐると考えていたからかもしれない。結局、あちこちを旅していたのはほんの半年くらいで、それからぼくはより強くなるためにシロガネ山へと陣取った。
シロガネ山はカントー地方とジョウト地方のちょうど間に位置する雪山で、トキワシティにはけっこう近い。比較でしかないけど。
帰ろうと思えばいつでも帰れる、でもそう簡単に出入りはできないところに籠もるぼく自身の中途半端さが、なんとも言えない。
それでも、グリーンには居場所だけ告げてみた。シロガネ山の頂上はどう考えても人間が普通に生活する場所ではないから、もしかしたら心配してくれるかなとか、そんなささいな悪戯心がきっかけだった気がする。
案の定、さすがのグリーンも目を剥いていた。グリーンから「なに考えてんだ、おまえ」ってセリフを聞いたのは、あれが初めてだったかもしれない。
いくらなんでもシロガネ山はやめとけとさんざんお説教されて、それでも頑として前言撤回しなかったら、結局最後にはグリーンが折れた。それはもう深いふかーいため息をついて、こう言ったのだ。

「はぁ……ったく、しょーがねえな……おまえ、一度言い出したら聞かないから」

その目には、やっぱりぼくを許す色が浮かんでいて。

「言っとくが、心配すんなってのは無理だからな。いちいち様子見にくんなってのも無理だからな。心配も干渉もされたくないってんなら、とっとと下りてこい。それ以上、妥協はしねえぞ」

しかも続いた言葉はやっぱりそんな風にぼくを甘やかすものだったから、ぼくは心の底から安堵して山に籠もったのだ。
でも、ひとつだけ、計算外だった。
やっぱりなにがあってもぼくを許してくれて、心配もしてくれて、わざわざ極寒のシロガネ山を登ってまでぼくに会いに来てくれるグリーンに満足していたはずなのに、いつしかそれは端から崩れていった。
なにが崩れていったって、それは自分の心だ。
強くなるためにシロガネ山へと登ったはずなのに、いつのまにかグリーンの訪ればっかり待ち望むようになってしまった、ぼく自身。
もうライバルじゃなくなってしまったのかと不安になったこともあったけど、それはシロガネ山に籠もりだしてからすぐに杞憂だってわかった。日頃のグリーンはいつでもぼくを許してくれるけど、バトルのときだけはぼくを対等な『ライバル』の目で見てくれたから。
ただぼくが勝っても、悔しさをにじませた泣きそうな顔はしなくなった。悔しいと口では言いながらも、どこか満足そうに笑っている。
今度は、その表情に胸を突かれるような気持ちを味わう羽目になった。しかも、見せてくれなくなってしまったからか、また泣かせたいと思うようにもなってきた。本当に泣かれたときは、あれだけ動揺したっていうのに。

とりあえず、いろいろ考えた。幸い、シロガネ山在住のぼくに時間はたっぷりあったから、考える時間が足りないということだけはなかった。
そして、出た結論。ぼくは、できる限りグリーンを独占していたいらしい。
それが判明したとき、さすがに自分でもちょっと引いた。どう考えても、同い年で同性の幼馴染み兼ライバルに向ける感情じゃない。
でも、笑顔にも泣き顔にも反応するし、しかもそれをぼく以外の誰かに見せてほしくないと本心が主張する以上、認めないわけにもいかなかった。
それにしても、なんでこんなことになってしまったのか。
たぶん、それもこれも、グリーンがぼくを許しすぎているからなんだと思う。

──だから、直接文句を言いに行くことにした。