はじまりの色

4

グリーンの知っている限り、レッドという人物は不言実行時々有言実行、という性質を貫いていた。記憶にある限り、さかのぼればそれこそ物心ついた頃からそんな感じだ。

たまに有言実行にシフトするものの不言実行が基本となるのは、べつにレッドがそういった行動に憧れを抱いていたりするから、ではない。単に言葉にするのが面倒なだけだと、グリーンは見当をつけている。そして、それはおそらく外れていなかった。
大体レッドという人間は、意見がコロコロ変わる質ではない。むしろ、一度こうと決めたら頑固で、なかなかそれを譲ろうとはしなかった。
ついでに、嘘や冗談も言わない。遊び心がないというわけではないが、レッドがその手のことに頭を使っている現場に、グリーンはついぞ遭遇したことがなかった。

つまり、レッドはどこまでもまっすぐだ。口にする言葉は圧倒的に足りないし、足りなすぎて何を言いたいのかさっぱりわからないことも多々あるが、少なくとも言葉にした以上、本気でそう思っている。それは、間違いない。

そのレッドが、獲得していた権利を費やしてまで主張したことだ。その場しのぎとか、ましてや冗談とか、そんなことは絶対にない。あるはずがない。
それは、グリーンにもよくわかっている。レッドとの付き合いの長いグリーンだからこそ、今さら考えるまでもなく知っている。
――だからこそ、告げられた言葉に驚いたあげく、目を丸くしたくもなるわけだ。

「……や、それ、前からけっこうそんな感じじゃねえ?」

なので、グリーンとしてはそう言うしかなかった。
理由は簡単だ。認めるのも業腹だが、かなり今さらな要求だったからに他ならない。

最近まで――というよりは再会するまであまり自覚らしい自覚はなかったが、いざ気づいてみればグリーンのそう長くもない人生のほとんどは、レッドのことで占められていた。それはもう、見事なほどだ。
それを自覚してしまったときには、さすがのグリーンも少しばかり表情を引きつらせた。同じくらいの勢いでポケモンという存在にも埋め尽くされてはいたが、それにしたってレッドがいなければそこまで固執はしなかったと、自分でもわかっていたからだ。

そこにレッドがいれば、どうしたってそちらに目が行く。意識だって、吸い寄せられる。他のことを考えている余裕なんて、どこにもない。
だから、これ以上レッドのことを考えるなんて、どうあがいても無理だった。これだけ雑多なものに囲まれ、それらに気を取られているはずの現状で、この有様なのだ。すでに最高レベル、上限に達しているのではないかとすら思う。

「そんなことない」

なのに、レッドはきっぱりとそう言い切った。
レッド自身が口にした言葉にも、グリーンがやや躊躇しながら返した言葉にも、特に疑問は抱いていないようだ。レッドに埋め尽くされている自分の心の内を、悔しさを噛みしめながらも認めざるをえなかったグリーンの葛藤は一体、どうしてくれるというのか。
だが、ただぽかんと口を開けるしかなかったグリーンの心中など、レッドが察してくれるはずもなかった。
グリーンがあ然としていることに気づいているのかいないのか、眉をひそめて言葉を続けている。とりあえず、機嫌がいいわけではないようだ。それだけは、わかる。

「全然足りない。っていうか、ずるい」
「……ずるいって、なにが」

しかも、話が見えない方にすっ飛んだ。
元から着地点が見えていたわけではないが、ますます予想のつかない方に猛スピードで曲がっていったことだけはグリーンにも理解できる。
だが、無理に引き戻したところで意味はないだろう。そちらに逸れてしまったレッドの意識は、たぶんそうしたところで戻ってはこない。なら、そこに労力を費やすなど無駄なことだ。
だから、グリーンは潔く諦めて先を促した。足りないってどういう意味だとか、そもそもなにが足りないのかとか、言いたいことが湯水のようにわき上がってくるのを理性で抑えつける。

(くそ、我慢強くなったよな、俺)

これも、ジムリーダーの仕事を年単位でこなしてきたおかげだろうか。致命的なまでに必要な言葉だけが足りないレッドと円滑な意思疎通を図るためには、必要なスキルだったのかもしれない。少なくとも、セキエイリーグの頂点でレッドに負けるまでのグリーンは持ち合わせていなかったものだ。

「僕ばっかりグリーンのこと、考えてる」
「はぁ?」

そんなグリーンの涙ぐましい努力を、レッドはまったく悪気なさげに、しかも真剣な表情のまま、木っ端みじんに打ち砕いた。

(ありえねえ)

あ然呆然を通り越して、いっそ笑えてくる。それくらい、レッドが口にしたことはありえなかった。
百歩譲って、シロガネ山にこもったきり音信不通を貫き、三年の月日を経てやっと下山してくるようになったレッドも、グリーンのことをたまに考えたりしていたのかもしれない、と認めるにしても、だ。

「いや、ちょっと待て。つーか、目ぇ開けたまま寝言いってんじゃねえよ」

なんとなくそれまでずっと立ったままレッドを見下ろしていたグリーンは、受けた衝撃のままに勢いよくその場に座り込んだ。
そうすれば、レッドとは目線が同じ高さになる。いつもは帽子のつばに隠れている深い色の瞳は強い光をたたえて、まっすぐにグリーンの瞳を見つめていた。その視線が逸らされることは、ない。
そして、グリーンはそれを知っている。理屈でもなんでもなく、本能で。
だから、同じくらいの強さで見返した。
そうしなければ、負ける気がしたからだ。

「おまえばっか俺のこと考えてる? なにその笑えない冗談。どう考えたって逆だろ、逆!」

レッドばかりがグリーンのことを考えているなんて、そんなふざけた主張を受け入れるわけにはいかなかった。それを肯定してしまったら、それこそ物心ついてからのグリーンを丸ごと否定することになる。
グリーン自身の世界がレッドを中心に回っていたことを認めるのもこれ以上ないほどの苦痛を伴ったが、何年もかけてやっと受け入れたことをあっさりと一言で覆されるのはそれ以上に腹立たしい。
鏡が目の前にあるわけではないので正確にはわからないが、きっと今、グリーンの瞳はぎらぎらとした光を放っているはずだった。
それくらい、グリーンは好戦的な気分になっていた。ポケモンバトル以外でここまで闘争心を掻き立てられたのは久しぶりだ。

――再会してからは、レッドが相手だったとしても、比較的そのあたりは落ち着いていたはずなのに。

「冗談なんか言ってない。そんなことに頭使う余裕、ないし」

もちろん、レッドは前言撤回したりしなかった。それどころか、グリーンの剣幕になにか思うところがあったのか、眉間にシワが寄る。
どうして信じてくれないのか。まるで、そう言いたげだ。
……それを目の当たりにしたら、ますます感情が波打ってきた。もちろん、マイナスの方面に。
レッドがグリーンのことばかり考えている、その主張そのものを頭から信じていないわけではない。本当にそうであったのならそれはそれで少し嬉しかったりもするが、そこにグリーンよりも≠ニいう一言がつくのがどうしても気に入らない。

そこまでこだわるようなことじゃないと、片隅に追いやられた理性が冷静に呟いているような気もしたが、やはりスルーなんて出来やしなかった。

「どこが冗談じゃないってんだよ」
「全部」

腹立ちまぎれにレッドを睨みつけたら、同じくらいの強さで睨み返される。グリーンがこの件をうやむやにする気がないのと同じように、レッドもしっかり決着をつけたいようだった。

「僕ばっかり、グリーンのこと必要としてる」
「……っ!?」

その証拠に。
挑むような強い視線をグリーンに向けたまま、レッドはためらいもせずそんなことを言った。
それを直接、しかも真っ正面から叩きつけられたグリーンは、咄嗟に返す言葉すら思い浮かべられない。
――それが呆れからなのか、驚きからなのか、それとも怒りのせいなのか、グリーン自身にもよくわからなかった。
おそらくは、全部だ。そして、きっと最後の割合がいちばん高い。

「な……な、おま、バッカじゃねえの!? 寝言にしたってひでえよ、それは!」
「バカじゃないとは言わないけど、今それを言われる意味がわからない」
「おまえの行動は、少なくとも俺……つーか誰でもいいよ、自分以外の他人をちょっとでも必要としてる風には見えねえんだよ! 自覚しろ!」
「どこが?」
「どこがって……!」

あんまりな反応に、グリーンは頭を抱える。そろそろ、言葉の通じない相手と必死に会話をしようとしている、かわいそうな人間になったような気分に陥ってきた。
あれほど様々なことをやらかしておいて真顔で「どこが?」と聞いてくること自体、自分以外の他人に大して興味を抱いていない証拠のようなものなのだ。グリーン自身、どうでもいいものには興味を抱かない自覚があるからこそ、それはよくわかる。
ただ、今ここで、それを逐一説明したくはなかった。しかも、レッドを相手に。
だが、完全にスルーしてしまうわけにもいかなかった。主に、グリーンの心の平穏のために。

「……いや、ちょっとは考えろよ。考えなくてもいいから、自分の行動振り返れよ。俺の前から先にいなくなったの、おまえだろ? レッド」

その両方の間でせめぎ合う心をなんとか落ち着けたグリーンがため息混じりに口にしたのは、そんなどちらかといえば建設的な言葉だった。
ついさっきまで激高していたグリーンが急におとなしくなったせいか、レッドは目を丸くしている。驚いているらしい。

「それは、そうだけど」
「それ、自分にはおまえなんかいらねえって主張してるに等しいから。レッドのことだし、今だからそういう意図じゃなかったんだろーってのはなんとなく想像つくけど、世間一般常識的にはそうだから」
「グリーンが世間一般常識語ってると妙におかしいね」
「そういう問題じゃねえよ……」

もう突っ込む気力も起きないが、とりあえずそこだけは主張しておく。大体、グリーンはちゃんと、幼少の頃から世間一般常識を身につけてはいるのだ。あえて、無視していただけで。
なぜ、無視しなければならなかったのか。否、無視する生き方を選んだのか。
……それはもう、今さら考えるのも馬鹿らしかった。
そうしなければ追いつけない、追い越せない、そう思ってしまったからに他ならないからだ。

「でも、そう思われるんだ。……グリーンも、そう思ってた?」

だが、そうやって少し軌道を逸れ始めたグリーンの思考を、レッドの声があっさりと元に戻す。
その声にはほんのわずか、探るような色が含まれていた。レッドにしては、めずらしい。

「あー……、まあ、そりゃ、な」

それに気を取られたのか、それともほだされたのか、つい正直に本音を口にしてしまう。実際、レッドが消えた直後はそう思っていたし、グリーンはそれを再会するまで引きずっていた。

でも、今はそうじゃない。
なによりも、それをしっかり伝えなければいけない気がする。