はじまりの色

5

「でも、前だぜ。さっきも言ったけど今はおまえのことだし、なんかまたわけわかんないこと考えて出した結果なんだろうなって思ってる」

再会したとき、レッドはいかにもらしいことを口にする反面、いろいろとレッドらしからぬことも言っていた。詳細は結局聞き出していないままなので不明だが、グリーンはどちらかといえば聡い方だ。グリーンの存在がどうでもよかったからではなく、むしろどうでもよくないからこそ逆方面に左右していたのではないか、という予測くらいは立てられる。
その予想は、グリーンの心を妙に満足させた。だからこそ、追求する気にならなかったのかもしれない。

相変わらず、レッドはまっすぐにグリーンを見つめている。昔から、それこそ物心ついた頃からずっと、「話すときは相手の目を見て」を実践していたのがレッドだ。
それは、今でも変わらないらしい。そのことに相好を崩しかけて――ふと、気づいた。

誰が相手でも、レッドはそうするのだろうか。
なにひとつ見逃さないと、まるでそう主張するかのような強さで、じっと話をしている相手を見つめ続けているのだろうか。

(……まあ、普通そうか)

少なくとも、レッドが話をしようと思う相手だ。まるっきり興味がない、というわけではないだろう。
少しでも興味を抱いた以上、レッドはきっと真摯に相手をする。こうやって、グリーンに対しているように。
それは、当然のことだ。
――なのに、そこに少しだけひっかかるものを感じるのは、どうしてなのだろう?

「だから、言ったろ。グリーンに負けたくなかったから、強くなりたかっただけだって」

グリーンの心に生まれたそんなひっかかりに気づくはずもなく、レッドは言葉を続けている。
そこには、気負いもなにもない。ただ、事実を述べている。それは、グリーンにもよくわかった。
そして、レッドにとってはそれが嘘偽りのない事実なのだということは理解していても、やはり完全に納得するのは難しかった。

「や、だから勝ったことねえよ、一度も」

なにしろ、そこに尽きる。
3年も山にこもって修行しなければならないほど、レッドにとってグリーンは壁ではなかったはずだ。一度たりとて、グリーンは勝ったことがない。認めるのも業腹だが、引き分けに持ち込むのがせいぜいで、未だに一勝すらもぎ取れていない。
負けるのは悔しいが、今はもうレッドに負け続けたところで不安が襲ってくることもないので、さほど気にはしていなかった。もちろん、その不安を払拭してくれたのも、今こうやって目の前にいるレッドに他ならないのだが。

「まー、おまえの思考回路もかなりかっとんでっからな……」

そもそも、そこを理解しようとするのが無茶なことなのかもしれない。
ため息混じりにそう呟けば、レッドは無言で首を左右に振った。どうやら、違うと言いたいらしい。

「負けたら意味ないって思ってたんだ、ずっと。負けて、失望されるのが怖かった。僕にはグリーンしかいないのに、グリーンはそんなことないから」
「……はぁ?」

そのせいなのか。
続いたセリフは、先刻の――思わずグリーンが寝言にしたって酷いと突っ込んだものに輪を掛けて、意味不明だった。

「グリーンに勝ち続けていれば、ずっと僕のことを見ててくれるって思ったんだ。あのときは、それしか思いつかなかった」
「あ……あ、アホか、おまえ」

開いた口がふさがらない。なにをどうすればどういう結論に至るのか、グリーンには本気でわからない。
そんなことをする必要が、一体どこにあったというのか。
旅に出る前から、ふたりの間に《ライバル》という関係がプラスされる前から、グリーンの世界はほとんどレッドに占められていて――旅に出て以降は、それがより加速されていたというのに。

「でも、おかしいよね。僕は結局、いつだってグリーンと一緒にいたかっただけなのに」

ゆっくりと、レッドの腕が動く。未だあ然としているグリーンを驚かさない程度にさりげなく、でもしっかりと目的を持って、まだグローブを付けていない手がグリーンに向かって伸びてきた。
あぐらをかいた足の腕に放り出されたまま存在すら忘れ去られていたグリーンの手が、レッドの手に捕らえられる。まるで大切なものを手に入れたとでも言いたげに、レッドは満足げに笑っていた。

「嫌われるのも、どうでもいいって思われるのもイヤで、怖くて、3年も会いに行けなかったんだ」
「……ばっかじゃねえの、おまえ」
「うん。前にも言われたよね、それ」
「ああ、言ったさ。本気でバカだからな、おまえ」
「知ってる」

捕らえられた手を取り返そうとは、少しも思わなかった。
むしろ、逆だ。レッドは捕らえたグリーンの手を、ただ両手で大事そうに包み込んでいる。
……そんな中途半端さは、グリーンの望むところではない。

「俺も相当バカだったけど、おまえ軽く俺の上いくわ。そんな極論に走る前に、ひとこと俺に言えよ。そうすりゃ、あっさり解決したっつの」
「聞けなかったから、山ごもりしてたんだってば」

あのときの僕の葛藤がわかるもんか、とレッドはブツブツ呟いている。もちろん、その主張をおとなしく聞き入れてやる気は、グリーンにない。
包み込まれていた手に力を込めて、逆にレッドの手を捕らえた。指を絡めて、強く握り込む。
――それは予想していなかったのか、レッドが目を瞠った。

「だから、最初っから言ってんだろ。人の話聞けよ。俺はいつだっておまえのことしか見てないし、考えてねえっつの。今だってそうだよ。俺の世界のほとんどは、おまえのことばっかだ」

目の前にいなくても、そうだったのだ。むしろ3年も姿をくらまされたことで、よけいに思慕の念は募ったのかもしれない。
再会できたことに安心したせいもあって、あまり深くは考えなかった。少なくとも居場所がわかっている、会いたくなったら会いに行ける、レッドから会いに来ることもある、それだけで満足していたからだ。

グリーンにとってレッドは無視することなど絶対に出来ない、なによりも大切で大きな存在だけど、レッドにとってのグリーンがそうだとは限らない。グリーンは、そう考えていた。
互いに唯一のライバルで幼なじみで、それがちゃんとレッドにも肯定され、当然のこととして受け入れられていることこそがなによりも大切で、それ以外のことは気にしないでいられたのだ。グリーンの感情を否定されなければ、それでよかった。そして面と向かって口に出す予定はまったくなかったので、それ以上のことを考えたこともなかった。

だが、結局のところ、グリーンの中にはレッドのことばかりだ。すべてが、そこに集約する。
だから、それをレッドに否定されて腹も立った。冷静になって考えれば、つまり互いに互いのことばかりでいっぱいになっていると、そういうことだというのに。

(ほんとに、意思の疎通ねえな)

でも、それでいいのだと思う。
わからないからこそ、知りたくなる。手を離せなくなる。誰にも取られたくなくなる。
これだけ長い間一緒にいて、それでもなお興味が尽きない。意思の疎通は見られなくても、きっと互いに退屈だけはしないだろう。

きっとそんなグリーンの内心には、何人もの人が気づいている。姉のナナミはもちろん、ヒビキだって、もしかしたらトキワジムのジムトレーナーたちですら知っているかもしれない。部下にバレバレだというのは少々腹も立つが、隠し通せなかったグリーンの失態なので甘んじて受け入れるしかなかった。

つまり、だ。

「気づいてなかったのはおまえだけだよ。なあ、レッド?」

事実を告げて片方だけ口の端を上げてニヤリと笑ってやると、レッドはぱちりと目を瞬かせた。
何度かぱちかちと瞬きを繰り返してから、やっと意味を理解したのか首を傾げる。絡み合っていた指に、力がこもるのがわかった。

「それって、グリーンは僕のものだって思っていいってこと?」
「レッドが俺のものになるなら、くれてやるよ」
「なんだ」

途端に、レッドの顔が笑み崩れた。
そんな当たり前のこと、とでも言いたげな笑みを見て、グリーンは苦笑する。意思の疎通はなくとも、考えることも感じていることも結局はさほど変わらないところが妙におかしかった。
こんなにもレッドに捕らわれているグリーンが、レッドのものでないはずがない。
そしておそらく、グリーンが思っている以上にグリーンに捕らわれているらしいレッドが、グリーンのものでないはずもないのだろう。

「そんなの、最初っからそうだ」
「じゃ、お互い様だな」

そう言って笑ってやると、ふいにレッドの顔が近づいてきた。あっという間に視界がぶれるほどに間近へとやってきて、軽くグリーンの唇に触れてからそのまま去っていく。もちろん、レッドの唇で。
温かくて、手入れなどしていないから荒れていてかさかさしているはずなのに、でも触れ合った感触は心地良い。

(もっと、触れたい)

そう感じたのは、グリーンだけではなかったようだ。レッドの顔が、ふたたび近づいてくる。
だが、今度は至近距離で止まった。繋がれた手に、力が込められる。
ずっと手を繋いでいたい、でもせっかくだし抱き締めたい。気のせいかもしれないがそんな葛藤が伝わってくる気がして、グリーンは笑いながら手を放した。
そのまま、まだレッドのぬくもりが残っている手を、目の前の身体に回す。
引き寄せて肩に顔を埋めてしまえば、レッドの顔は見えない。でも、なんとなくどんな顔をしているのかはわかる。
基本的にあまり表情が動かないはずのレッドは今、おそらくはグリーン以外の人間は見たこともない幸せそうな顔をして、グリーンの背に腕を回して。

「そうかも」

やはりグリーンの耳元で、嬉しそうに笑っているのだろう。